命名許可申請お墓参りツー

 四郎号と上京してから約1週間。

 

 「これからはいつでも乗れるぞ」 (ΦωΦ)ウフフフフ・・・・なんて思ったんやけど、結局平日は仕事でくたくたで乗る気力がなく、乗れずじまい (´・ω・`)

 

 ってわけで、やっとこさやってきた土曜日は四郎の駐車場契約をしに近くの不動産屋に行かなあかんし、その他モロモロお買い物もせなあかん。

 

 ちょうどこの日の朝6時半すぎに地震があり(震度4)、ガラスのハートの持ち主である僕は目覚めてしもたわけであるが、その時、窓を開けてみると信じられへんほどの冷気が、ひや~~~~。(((+_+)))サブッ そういや、先日富士山界隈にツーリングに行きはった*coca*さんによると、「さぶかったですー。メッシュジャケットとかやったらとんでもないことになりますよ~」とのコメントをいただいたことを思い出す......(-ω-)

 

 まぁ富士山とまではいかないまでも、やっぱりさぶいんや......。今日はおとなしくしとこ......(-ω-) と、まずは不動産屋さんへ。その後の買い物のこともあるんで、四郎にまたがってLet's Go。ほんで近くの不動産屋までのわずかな距離やったんやけど... (゚Д゚) アッタカイヤンカイサ...(-ω-)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行っとけー!! (`・ω・´)シャキーン

 

 もう10時やというのに、当初向かう方向(横浜駅方面)とは正反対の方向に走り出した僕と四郎号。中原街道から保土ヶ谷バイパスに入って北上。

 

 ...もうさぶい((+_+))

 

 走り始めて20分ですでに後悔し始めたbarちゃんであったが、そのまま根性で直進 ( ̄‥ ̄)=3

 

 ところが東名町田のIC付近で渋滞(+_+) 246の合流で渋滞(+_+) どーにかやりすごしたと思ったら、どーでもいいところで渋滞(+_+) よー見たら右車線でじいちゃん、車を中央分離帯に乗り上げてるし... (=゚ω゚)つ)゚∀゚)グァ

 

 相模原の橋本でR413に入っても渋滞...ε= (++ ) どこまで行っても渋滞ばっかしや。でも津久井湖が近づいてきたら、よーやく車も減ってきた(´∀`) R412にスイッチして「さがみ湖ピクニックランド」あたりになったらす~いすい♪

 

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 そのうち甲州街道(R20)に入って相模湖を左にしながら軽いワインディングをかまして進むと、いよいよ山梨県に突入。四郎号、初の甲斐國だ~( ̄◇ ̄)

 

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 でもやっぱしさぶい......((+_+))  しかしここまで来て引き返すのもぐやぢ~ので、気合一発!!! 桂川沿いに進むと、やがて大月市。

 

 大月市といえば...岩殿城址。R20からでも、明治時代の名将と言われた乃木希典(日露戦争の第三軍総司令官で旅順攻防戦でも有名)に、「ウサギも登れないほどの険しさである」とまで言わしめた岩殿山がキレイに見える。

 

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 (゚Д゚) ハア?? イワドノジョウシ? と思ったアータ。あなたはフツーです。わかった方...アータはマニアです。ま、ここはにっくき「敵」の居城。詳細はこの後で。

 

 岩殿山の写真をぱしゃりと撮ったところでちょうどお昼12時。でも全然おなかが減ってなかった(朝からスパをがっつり食った(^▽^;))んで、そのまま直進。

 

 しかし山梨に入ったあたりでまた一段と気温が下降気味。そしたら案の定、路上の電光掲示板には、「ただ今の気温 13℃」

 

 (T∇T≡T∇T) 13℃てゆーたら、軽い冬やん......ヽ(´Д`;)ノ ランタ タン♪

 

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 今日はこっちに来るつもりなかったら、思いっきり薄着やし。もちろんメットの中では鼻水タレタレ流れ放題 ヘ(゚∀゚ヘ)ヘ(゚∀゚ヘ)ヘ(゚∀゚ヘ)ポー!! 大月を越えて笹子トンネルを越えたところに道の駅「甲斐大和」があったので、本日初のご休憩♪

 

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 さぶいし写真撮る以外全然止まってなかったから、おしっこしたくてねぇ (^▽^;) 止まるととりあえず寒さが止むからひと安心。

 

 トイレを済ませ、お店の中を冷やかしてからバイクに戻ると、この辺りの観光案内の看板を発見。 「天目・田野方面は......」

 

 テンメ?! タノ?! と叫んだアータ(まぁ叫ぶヤツはおらんやろうけど)。まず、「天目」は「テンメ」じゃありません。「テンモク」です。叫ぶこともなく、この地名に心当たりのある方、あなたは・・・・・・ もうええか(笑) もったいぶらずに公開しましょう。

 

 σ(・_・)の愛機の名前は「四郎」号と呼ばれている(僕には)。そして、あっちゃこっちゃのBBSやらブログやらに恥ずかしげもなくカキコさせていただいているおかげで、名前も知られるようになってきた(周囲には)。しかし、なぜ「四郎」号なのかを知る人はほとんどいない(まぁ理由まで言う必要ないから当たり前なんやけどw)。

 

 「四郎」。この名前は、甲斐源氏である武田家の終焉を迎えてしまった、武田四郎勝頼公からいただいているわけなのであ~る。

 

 ってわけで、特殊任務遂行のため魔都、そして横浜に住むことになってからというもの、チャンスがあれば、是非、勝頼公の墓前にご報告し、お許しをいただけないまでも、せめて許可の申請だけでもしとかないと......と思っていたわけなのぢゃ。そして今回の四郎号との上京があって、こりゃ行かねばなるまい ( ̄‥ ̄)=3 ということになったわけだ。

 

 ご存知のとおり武田勝頼公は武田信玄の子どもで、四男だったから「四郎」なわけ。そしてこれもご存知のとおり、勝頼は騎馬隊を率い、世に言う「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊にこてんぱんにやられた挙句、滅ぼされてしまった武将。

 

 その「滅ぼされた武将」が好きだからお名前をいただいたのだ。なにも判官びいきだからぢゃない! 理由はいろいろあって、こんなところに書いてたらツーレポじゃなくなるのでやめておくが(笑)、一つだけ言っておきたいのは、 武田勝頼公は決して愚将などではないということだ。

 

 織田信長軍、徳川家康軍、北条氏政軍に攻め囲まれ、重臣であったはずの小山田信茂(さっきの岩殿城は信茂の居城。攻められ落ち延びようとした勝頼公に自分の城に引きこもるように進言したにもかかわらず寝返った)の軍勢に行く手を阻まれた勝頼公、嫡男の信勝公、そして勝頼公の奥様(北条夫人)、そして彼らに最期まで付き従った50名弱の家臣・侍女たちが最期の地として選んだのが、僕が今回のツーで目指している、甲斐大和(現甲州市)の天目・田野。

 

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 道の駅「甲斐大和」の看板で道のりを確認して出発。R20を少し進むと、「景徳院入口」という交差点を右折。景徳院には、勝頼公、信勝公、北条夫人のお墓がある(高野山にもある)。「お墓参り」とはそういう意味だ。 ふとR20沿いを見ると、「奉納諏訪大明神」の幟が強い秋風にたなびいていた。

 

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 勝頼公の母は、父・信玄が滅ぼした諏訪頼重の娘であることから、勝頼公は当初、諏訪家の名跡を継いでいたので、この勝頼公終焉の地でも信仰されてるんやろか。

 

 しかしここらあたりが戦国時代の「よくわからない」と言われるところです。だって、実は信玄に滅ぼされた諏訪頼重は、信玄の姉婿なんやから。つまり信玄は、義理の兄を攻めて滅ぼし、挙句の果てにその娘を家臣たちの反対を退けて側室に迎えたりするんやから。

天目・田野地区に向かう道に入ってすぐに、石碑発見!!! ほんで進むと、また発見!!!

 

PA140010 【左】四郎作古戦場址

 

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【右】鳥居畑古戦場址

 

 石碑のウラや横にある説明を読むと、

 

「天正10年(1582)3月10日、僅かな家臣、一族と共に敗走し、勝頼はここ天目山に篭り、防戦をすることに決めた。その夜、天目山の頂きは残雪を残して寒気厳しく、疲れ果て眠りについた。翌11日朝、織田信長の先鋒の滝川一益、河尻鎮吉等の軍勢4000余人が押し寄せ、戦うこと数度、ついに力尽き、運が尽きた」


 いずれにしても、霊魂を鎮めるための建立。往来する車もほとんどなく、近くを通るR20も喧騒ももう届かず、ひっそりとした集落。

 

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 最大で120万石を誇り、動員軍勢35000を可能にし、甲斐のみならず、信濃(現長野県)、駿河(現静岡県)を制覇。遠江(現静岡県)、美濃、飛騨(現岐阜県)、上野(現群馬県)にも勢力を伸ばし、越後(現新潟県)の上杉謙信、関八州(関東地方一帯)に覇を唱えた北条家と対峙。そして織田信長と徳川家康が最後の最後まで単独で戦うことがなかった武田氏。そんな、新羅三郎義光以来28世代・495年続いた武田家最期の地が、こんなひっそりとしたところなのか......。

 

 わかっていたものの、やっぱし実際目の当たりにして、思わず寂寥の念がこみ上げる。

 

 少し進むと、左側が広場みたいになっている。ペイントから察するに、乗用車用が10台分、観光バス用2台分くらいの駐車場のよう。でも一台も止まってない。 ふと見るとトイレがあって、その横に彫刻されたおっきな石碑。ここが「姫ヶ淵」。

 

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 説明によると、武田討伐軍(織田・徳川・北条連合軍)の攻撃を受け、新府城(韮崎市)を捨て敗走する武田勝頼ら一行は味方の裏切りもあり(←これが小山田信茂)、ついに進退窮まった。勝頼の妻・北条婦人に従いこの地まで来た侍女たちは、捕まって辱めを受けることを拒み、この下を流れる 日川に身を投じたという悲しい逸話が残っている、とのこと。

 

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 石碑の裏を流れる日川を覗いてみたが、とってもちょろちょろ。こんなところに身を投げたのか? ふとした疑問が湧いたが、現在の日川は上流に発電用施設が建設され、水量が極端に減っているとのこと。つまり昔は轟々とまではいかなくても、なみなみとした水量を誇る川やったんでしょう。 勝頼公家臣・土屋惣三が迫り来る敵軍に獅子奮迅の活躍。三日間、日川は斬られた敵軍兵の血で染まったという話も。

 

 姫ヶ淵から見える小さなお寺。そこが景徳院なのであった。

 

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 景徳院は、天正10(1582)年10月、徳川家康が入国の時、勝頼公以下約50名の菩提を弔うため、田野寺を建てたのが始まりとされている。 コースにでもなっているのか、ときおり大きなザックを背負ったハイカーがどこからか下りてきた風情で、すぐ近くにある掘っ立て小屋のようなお土産物屋を覗いたりしているが、それ以外は本当に静か。

 

 入り口の脇には、「首洗い池」。今は水量の関係もあるんだろうし、護岸工事もあったりしたから「池」っぽくはなかったが、ここで討たれた勝頼公、信勝公らの首を洗ったと言われている場所だ。無念。

 

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さて、ここからが今回のツーの目的地突入でござる。

 

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 狭い参道を進むと現れる階段。Tちゃんでもいようものなら、

 

ブー(・ε・)タレる → (=゚ω゚)つ)゚∀゚)グァ

 

 が定番なのだが(爆)、今日はツッコむTちゃんがいないこともあるんで、そのまま無言で登ると山門が向こうに見える。

 

 境内の案内板を見ると、階段を登りきったところを右に。そこに、勝頼公、信勝公、北条夫人が自害したと言われる場所が残っている。

 

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 鬱蒼とした林の中をゆっくりと歩く。聞こえるのは、自分が砂利を踏みしめる音と日川の水の流れる音だけだ。

 

PA140028【上】勝頼公御自害石

 

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【上】信勝公御自害石

 

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【上】御内儀御自害石

 

 無念の思いが伝わってくるようだ。境内から足場の悪い道を30メートルほど下りるとあるのが、没頭地蔵尊。勝頼公、信勝公、北条夫人のご遺骸を葬り弔っているとの案内板。

 

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 没頭地蔵尊から下りてきた道を見上げる。

 

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 訪れる人もあまりいないから、道を整備する必要がないわけだ。それをまた境内に戻り、今度は甲将殿という建物の、なぜか裏側にある三人の墓石へ向かうことにする。

 

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 なんで建物の裏にひっそりと人目を避けるように建っているのかを僕は知らんけど、僕は墓前にお参りし、しっかりとご報告。もちろん勝頼公のお許しをいただけるとは思っていないが、勝頼公を思う気持ち、武田家を思う気持ちだけはお伝えできたんちゃうかな、とは思えた。積年の願いが叶った瞬間だった。

 

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 分厚く頭に覆いかぶさっていた灰色の雲はどこかに流れ、すっかり晴れた空。勝頼公たちが散った日は、どのような空やったんやろか。 本懐を遂げたところで、せっかくなので景徳院にお参り♪

 

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 燦然と輝くのは、武田の家紋である武田菱。武田菱といえば、広く割菱(左写真の幕右側)が知られているけど、花菱(左写真の幕左側)も立派な武田菱なのでア~ル。

 

 なんだかすっきりした気分で帰路に着くことに。だってさぶいんやもん(笑) 日が暮れてからのさぶさを想像したら、すぐにでもちびりそう。で、もと来た道のりを逆に辿って帰ることに。

 

 ところが大月近辺で信号待ちをしていると、「猿橋」の看板。んん~、どっかで聞いたことがあるような気がする...。もちろん昔にもこの辺は当たり前のように通ったことがあったんやけど、なかなか思い出せん (-ω-) 見たら、「名勝猿橋」の文字が。ってことで急遽左折。

 

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 江戸時代の浮世絵師・安藤広重の「甲陽猿橋之図」や、作家・十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにも出てくるこの猿橋は、「岩国の錦帯橋」、そして「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋の一つ。

 

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 長さ31m、幅3.3mのどちらかというと小さな木でできた橋やけど、谷が31mと深く、橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支えているから「奇橋」なわけやね。うん、ここは思い出したぞ。前来た時はもっと人がわんさかおったような記憶がある。

 

PA140050【上】猿橋から下を覗くと深い渓谷。水面は静かだった

 

PA140051 【上】奥の赤い鉄橋は現在の猿橋(R20)。手前は下流にある発電所に水を送るための水路橋

 

 あとは鼻水たれたれ流しながら、元来た道を戻る。っつかもうずーっと渋滞 (# ゚Д゚) ムキー 

 

 最後の最後まで寒さと渋滞に悩まされ続けながらのツーは約半年ぶりということもあり、クラッチを切る左手の握力が......(T▽T) のびぃさんの気持ちがちょっぴりわかった日帰りツーであったw

 

 

勝頼公辞世句

 

朧(おぼろ)なる 月もほのかに 雲かすみ 晴て行衛(ゆくゑ)の 西の山の端

kaou_katsuyori勝頼公押印